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「いつか公平」な世の中をと全身で願った劇作家つかこうへい氏逝去のニュースを知ったのは、日曜の夜から飲み続けてすこしぼうっとしていた昨日の早朝だった。映画「蒲田行進曲」を3度観たことがあるだけの僕には、彼の死に対してそれほど深い悲しみの感情は湧かなかった。ただその数日前、たまたま知人との他愛のない会話の中で「蒲田行進曲」の話題が出たばかりだったので、すこし驚いた。一日経つといろんなところでつか氏の生前のエピソードやその作品世界を評する記事などを目にし、強く優しい人だったんだと知った。その生い立ち故なのか持って生まれたものなのか、彼のことをなにも知らない僕にはわからないけど、卑下することも声高に主張することもせずただそっと寄り添い続けた姿勢に、どれだけの人が救われたんだろう。僕にはひとつ歳下の知的障害を持つ弟がいる。物心ついたときには施設に預けられていた弟と共に過ごした時間はとても短いけど、社会的弱者と、そこに寄り添う人達のかなしみを少しはわかっているつもりでいた。この歳まで生きてきて、すこし多いかもしれない近しい人達の死も経験してきて、なおさらわかっているつもりがかたまっていたかもしれない。ただ大事なものをなくしてしまうことがかなしくてしかたがないけど、この世に偶然などないのなら、それも決まっていたことなのかもしれない。どこかで「本当に優しい人の言葉は強く正しい」と読んだ。えらそうに言うことでもないけど、自分は弱く臆病で薄情な人間だ。優しくなりたい。これまで走ることも、まともに止まることもできなかったけど、こうして考える時間を持つきっかけをくれたつか氏と、つか氏のすばらしさを教えてくれた人に感謝する。つか氏の冥福を祈りたい。
新宿のシアターアプルが2年前の暮れに閉館していたことをきのう知りました。特に演劇好きでもないので、さほどショックなことではないですが。ただ、時間が経ったんだなぁとしみじみ思いました。デザイナーになったばかりのことを思い出しています。
当時勤めていたのは大阪西天満のデザイン事務所。僕を入れて5人の小さな会社でしたが、大きな仕事をしていました。そこに入ってはじめてやらせてもらったのが、もう内容は覚えていないけど、どこかの劇団のシアターアプルでやるフライヤー(当時はただの「ペラもん」と言っていましたが)のちょっとした手直しでした。まだ20歳そこそこで、修学旅行以外に行ったことのなかった僕に、この仕事は「東京」の濃い匂いがしました。いま思うと、この頃から東京への憧れがだんだん強くなってきたんだと思います。
ちゃんとした仕事としては、ミナミの三角公園で半年間だけ行われた、あるイベントの企業向けDMのイラストでした。一応デザイナー兼イラストレーターだったんです;)
僕が書いたペン画をもとに、チーフデザイナーがデザインして、色校で上がって来た現物を見たときは感動しました。いまもたぶんどこかにしまっていると思いますが。
東京に出てきて約4年。あれほど憧れた東京の生活にも慣れましたけど、どこにいても変わらないものは変わりませんね。よく聞く話ですがそう思います。
ただもう、日本では東京以外には住めないですね。奈良生まれの田舎ものですから:)
「ほんまにうらやましいわぁ。」
と、うちの奥さんは言う。
「いや。。そっちのほうがいいよ、絶対。」
と、僕。
晩ごはんに鍋をつつきながら見ていたテレビの対談番組で、ある俳優さんが、「僕はなにかに集中すると周りが見えなくなっちゃうタイプなんです。」って言ってるのを見て、集中力の話になりました。
僕も集中すると、周りの音がぜんぜん聞こえなくなって、名前を呼ばれてもまったく気がつかないことがあります。でも彼女はまったく逆で、どんなに集中しても、かたっ、ていう物音ひとつにもすぐに反応するタイプの人です。
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眠れなくてもうひとつ。
好きなアーティストは、と聞かれると、60年以上前に円熟期を迎える下手な絵の画家の名前を答えます。エドガー・ドガに傾倒する画家の作風はやはり写実的で、当の本人曰く、"ただ描いただけ"なんだそう。だけどある心理学者は彼の絵を評して、そこここに性的描写が織り込まれていると言い、その独特の孤独感もとてもセクシーに感じます。
TASCHENから出ている安い装丁のアートブックがお気に入りで、といっても普段はクローゼットの中や、引き出しの奥なんかに無造作につっこんであるんだけど、ときどき引っ張り出しては眺めています。それがアートなのか、そこそこの絵なのかなんてことはきっと何の意味もないんだろうけど、なにかが頭から取れないときなんかに、なんとなく眺めているのが好きです。その作品でいろんな人たちの物議をかもした画家が、その作風とはうらはらに、永い人生をおだやかに、静かに生きたというのもまたおもしろいと思います。エドワード・ホッパー、享年85歳。
メールの話なんですが。
メールの書き出しって、大抵決まってますよね。
「○○さま。お世話になります。株式会社××の△△です。」みたいな。これって大抵はコピペして使い回すもんなんでしょうか?なんでも効率よくすることが苦手ということもあるんですが、なんかできないんです。
メールのコミュニケーションはむずかしいです。一通のメールを書くのにへたすると1時間くらい平気でかかることがあります。それだけの本文を書くのに、書き出しをコピペするとなんか身が入らないんです。ちゃんと○○さまに、△△が書いています。ということを確認する意味もあるかもしれませんが、必ず一字一句ちゃんと打っています。
ときどき宛名をまちがって送ってくる人がいて、あー。コピペしてるんだな。コピペするのはいいんだけどこれは失礼だなー。なんてことを思うことがあって、そういうメールは大抵何を言いたいのかがよくわからなかったりします。そういえば、来るメールのすべてがなにを言いたいのかがわからなくて、その人からメールが来るたびに、折り返し電話して確認する、なんてこともあったなーと思い出しながら、たぶんことし最後の更新になるブログの話題としてはなんだかなと思っています;P
ま。それはさておき。ことしはいい年でした。このサイトをリリースしてからTwitterも本格的に日常に関わるようになって。新しい出会いもあって。また来年の年末も同じことが言えたらいいなと思います。
それではみなさま。よいお年をお迎えください。
きょうの夕方、ちょっとデザインに煮詰まってて、んーとしてるところに、海外から一通のメールが届きました。添付されていたポートフォリオにはクォリティの高いイラストやポスター、Webデザインがありました。インターンで働きたいと書かれた英文はどこかの文例集から抜粋したような文面が並んでいるけど、一生懸命な感じがちゃんと伝わってきました。たぶんいくつかの制作会社にコピーを送っているんだろうけど、その中にうちを入れてくれたことに驚きました。
彼はデザイン学校の学生だけど、地元の某有名ファッションブランドのイベント用フライヤーを作ったり、コンテストで賞を獲ったり、とても才能のある人でした。
ただ、デザインの方向性がちがうことと、ちょうどここ数日、ひとりでやること、について考えてたところで、結果的にはお断りしたんですが、英語版を作ってたおかげでこんなこともあるんだとうれしくなりました。英語なんかただの道具なんだけど、それが使えない、たったそれだけでこんな出会いもなかったかも、と考えると、もうちょっとちゃんとやらなきゃと思いました。
それにしても、最近の中国のデザイナーの層は厚いと言われているけど、ほんとですね。いつか彼が有名なデザイナーになったらいいな、なんて妄想してにやにや笑ってしまいます。
忘れないようにブログに残してみました。
このサイトを公開して10日あまりがたちました。
おかげさまで数件のお問い合わせやご意見をいただいています。
そういうのも公開できる範囲でおいおいご紹介したいと思いますが、ひとまずありがとうございます。
ここ数日、英語版の制作に追われていましたがそれも無事、なんとか公開できました。
今回自分ですべて翻訳してみて、自分の英語力のなさにうんざりしましたが、ブログも作っちゃったのでなんとか続けていきたいと思ってます。
きょうは10くらいのこと、またひとつ追記しました。
いまはあるサイトのリニューアルにかかわらせてもらってます。
ほんとに信頼していただいているので、ちゃんと返していきたいと思います。
カナリヤグラフィックスというWebサイト制作会社をやってます。
一応株式会社ですが、社員は社長のぼくひとりです。
このサイトは、いわゆるサテライトサイトです。コーポレイトサイトで書き切れていない、Webサイト制作に対する思いとか、デザインが大好きなんです、とかの気持ちとかを、暑苦しくないようにアウトプットしていけたらと思ってはじめました。
「あなたに伝えたい10くらいのこと」というセクションがコアコンテンツです。
ブログのような内容ですが、ブログというにはボリュームが限られるので、独立したコンテンツとして徐々に書き出していきたいと思っています。
このブログでは、デザインのこととか、そうじゃないこととか、いろいろ書いていきたいと思っています。